ぬば玉の
夜霧の立ちて
おほほしく
照れる月夜の
見れば悲しさ
大伴坂上郎女
ぬばたまの
よぎりのたちて
おほほしく
てれるつくよの
みればかなしさ
おほとものさかのうえのいらつめ
夜を暗くする霧が立ち込めて 月が霞んでほのかに照っている夜
こんな光景を眺めているというのは悲しいものですね
昨日の夜は満月でした。
そしてちょうどこの歌のようにおぼろに霞んだ月でした。
霞んでいたので月が3重くらいに見えて、
パッと見た印象ではお月様に大きな目が
くっついているかのように見えてしまいました。
これは年齢のせいか頭の問題か・・・。
なるほどいろいろな意味で悲しい・・・。
ただ、ほのかに霞んだ月を眺めるのも、これはこれでいい感じです。
現代なら少しくらいならば霧のなかの月も悪くないのではと思います。
でも古代の場合、せっかく夜を明るく照らしてくれる月なのに
霧が立ち込めて月が霞んで・・・というのは、
あんまりけっこうなことではなかったのかもしれません。
例えは良くないかもしれませんが、
現代の夜の停電くらいに心細いものだったのでしょうか。
昔は電池でつく灯りだの懐中電灯だのはないからなあ。
大伴坂上郎女、これはお名前ではないんですよね。
とにかく大伴家の女性には違いありませんが。
何でも坂上というのは、
坂上の里と呼ばれるところがお住まいだったからとか。
郎女というのは若い女性を親しんで表現された言葉だそうです。
ということは、
大伴さんのところの坂の上の里の娘さん、
これで良いのでしょうか。
有名な額田王以降で最大の女流歌人で、
万葉集へも最も多く歌が採られているそうです。
だとすればおそらく古い時代の人としては
それなりに長生きしている可能性が高そうなので、
郎女というのは永遠の若い女性気分ということでいいかな。
まあ敬意をあらわしているのかもしれません。
冗談にせよ嫌味っぽく、昔は娘、
なんて表現しないところがいいですね。
最初は皇子に嫁したと伝わります。
古代の有力な氏族の女性らしい経歴ですね。
その後もいろいろとあって、
最終的には、これもいかにも古代らしく親族の人と一緒になったようです。
そして最終的には大伴氏を支える女性のひとりとして生きて、
たぶん人生を全うしています。
古い時代ほど、
何だか人類みんな兄弟、
みんな恋人・・・
みたいな感じなのは怖い気もしますが、
そうはいっても事実だからどうしようもありません。
古くはだいだい有力家系ほどその傾向が強かった、
と思っていればいいということでしょうか。
ああ、霧だの月だのから離れてしまいました。
暗い古代の夜、霧が立ち込めて霞んだ月がほのかに光る、
独特な雰囲気に覆われ、何か不吉なような、
気分を落ち着かなくさせるような、
不思議な光景。
そこに自分自身の運命の「何か」が重なって、
悲しい物思いにつながったのかもしれません。
雲にときどき覆われて
それでも照らす
世の夜の闇