今は昔
竹取の翁といふ者ありけり
野山にまじりて
竹を取りつつ
よろづの事につかひけり
名をば
讃岐の造となむいひける
いまはむかし
たけとりのおきな
といふものありけり
のやまにまじりて
たけをとりつつ
よろづのことにつかひけり
なをば
さぬきのみやつこ
となむいひける
「今は昔、
竹取の翁という者がいた。
野山に分け入って
竹を取ってきて、
いろいろなものを
作っては使っていた。
その名を、
讃岐の造といった。」
生意気ですが・・・
良いですよねえ・・・、
出だしが。
古い古い物語などの作品
というのは、
冒頭数行の文章
の構想だけで
軽く十年くらいは
かかっているのではないか、
と思ってしまうくらいです。
もちろん平安時代に
著作権などないはずで、
書き写す際などに
その人その人の好みなど
が反映され、
そのうえで完成した文章
だということも
あるでしょう。
しかし
幾人もの筆を
経ていたとしても、
現代人にはまねのできない
完成度の高い文章
だと感じられます。
古文は
声に出して読むこと
が前提だと、
どこかで
詠んだ記憶
があります。
ああ、
そうか、
だからこそ古い文章は、
目で読んでも
朗読しても
心地良いのか・・・。
文章は共有してこそ、
なのでしょうか・・・。
現代文は明治以来ですが、
その前に書かれた文章には
千年を越える
歴史の重みがあり、
今の文章は
やはり完成途上にある
のだなと思います。
それにしても・・・
暦のうえでも
カレンダーでも
今は春のはず・・・
なのに・・・
寒い・・・
ひょっとして・・・
もしかして・・・
怖いですが
地球は
寒さに
向って行っている?
いやいや、
天候というものは
変化して
当たり前なのだ・・・
でも寒いものは寒い・・・
昔昔に竹を取って・・・
ということは
竹が生えているのだから、
たぶん寒くない季節、
しかもその竹を割ったら
ザックザックとお宝(?)
が湧いて(?)くるのだから、
さらに寒くない!
寒いわけがない!
まあ、竹のなかに
ちっちゃくて
可愛らしい人が
ちょこんとしていたら・・・
季節に関わりなく
本当は寒いかもしれない
・・・・・・
だけど
そんなことは
気にせずお宝だ!
お宝が欲しい・・・
欲の皮がつっ張ると
寒さも
忘れてしまうかも
しれません・・・。
せっかく冒頭の文章に
感動したのに、
寒さのせい(?)で
心身の具合が
いろいろ変
です・・・。
素晴らしい
生命体になりたい?
なりたい!
でもその前に何かが欲しい
宝物が
落っこちてないかなあ・・・