旅人は 袂すずしく
なりにけり
関吹き越ゆる 須磨の浦風
伝 在原行平
たびびとは たもとすずしく
なりにけり
せきふきこゆる すまのうらかぜ
でん ありはらのゆきひら
旅人には袂が涼しく感じられるようになりました
(もうそんな季節なのですね)
関を吹き越えて行く須磨の浦風・・・
何だか日に日に夏らしくなって行きますね。
青空が眩しい今日この頃・・・。
在原行平さんはあの有名な在原業平さんのお兄さんです。
この方は能力の高い官吏で、
なかなかに根性のある政治家でもあったそうです。
行平(ゆきひら)というお名前、
何か聞き覚えがあると思ったら、
雪平鍋、行平鍋、ゆきひらなべ・・・
書き方はともかく、あの「鍋」を思わせます。
金属の片手鍋のことかとばかり思っていたら、
土鍋の場合にもこう呼ばれることがあるようです。
当然土鍋の方が起源は古い・・・よなあ。
土鍋が先で
金属鍋は後からそう呼ぶようになったのでしょうね。
はて・・・。
行平さんが須磨で海女の女性に塩を焼かせた、
なんて故事があるのだそうで、
そのあたりのことが鍋の名前の由来だとか何とか・・・。
これは鍋がどうとかではなく、
たぶん「鍋のなかの料理の状態」のほうに
焦点を当てている発想なんでしょうね。
おそらくですけど。
昔のことだからはっきりしませんし、
諸説あるのでしょうが、微妙に気になります。
だって、貴族と鍋なんて、
組み合わせが何か変な気がします。
ずいぶん面白いですね。
昔の人の発想は
現代人よりも奥が深くてスケールが大きいみたいです。
頭の回転も早かったのかもしれません。
鍋のことは置いておいて、
和歌です。
上の歌は、
須磨に滞在していたときに詠まれたと伝わっています。
古くから在原行平作と伝えられていたのでしょうが、
勅撰の和歌集に採られたのは案外新しいそうです。
で、この歌本当は秋の歌なんですね。
この地では秋風が涼しく感じられるようになったなあ、
という感じの歌だそうです。
「すずしい」という言葉には、
昔には 冷える、というような
意味合いもあったということなのでしょう。
都を離れて寂しさを覚えているのでしょう。
旅情みたいなものもあるのでしょうか。
そうすると、いかにも秋らしいですね。
個人的には、すずしく、なんて言葉は良い感じで
(寒い感じは感じさせません)、
冬以外ならいつでも味わえる歌のような感じがします。
そんな考え方はもしかしたら、
風情も何もあったものではないかもしれませんが。
それでも楽しんだりいろいろ思ったりするのは、
別にかまいませんよね。
うん、だって鑑賞されて様々な感想があってこそ歌だもの。
勝手に解決です。
青い空
雲も流れる
それぞれに風は吹く吹く
いつまでも
人も流れる
どこまでも
行き着くところ
どこだろう
心にまかせ
いつの日か