素朴で微妙な感想

思ふこと
みなつきねとて
麻の葉を
きりにきりても
祓へつるかな

和泉式部

 

おもふこと
みなつきねとて
あさのはを
きりにきりても
はらへつるかな

いづみしきぶ

 

思い悩むこと すべて尽きろ なくなってしまえと
六月の晦日に 麻の葉を細かく切ってさらに切って お祓いをしたのですよ

 

 

古代の水無月の祓いの行事に自分の思いを掛け合わせるように詠まれた歌です。

 

祓には身についてしまった穢れを祓って清めるという意味があるらしいですが、
和泉式部が詠んだこの歌では鬱陶しいほどに感じている悩みを、
まさに自分のそばから引きはがしたいと感じているような印象を受けます。

 

和泉式部は言うまでもなく有名な女流歌人で、
情熱的な人としても知られていますよね。

 

あくまで印象ですが、昔だとその経歴から身分違いの恋愛に走ったことを
強調されていたような記憶があります。

 

現代ではむしろ「女流」の部分のほうが意識されているようです。

 

女性的な部分を強く感じさせる恋の歌を多く詠んでいるので、女性を意識するのは
当たり前なのかもしれませんが、自分の思いに忠実で人の心に残る歌を詠んだ人、
素直にそう考えればいいんじゃないかなと思います。

 

けがれというのをどう考えればいいのかなあ・・・。少し悩みます。

 

和泉式部氏の場合には、この歌が詠まれた時期にもよるのかもしれませんが、
スキャンダルがあっていろいろと非難される、そうすると意地にもなるけれど、
良心の呵責みたいなものもあるからそんなことも関係するのかとも思えます。

 

自分自身の思いの世界なんでしょうか。

 

でもどちらかというと、
「世間が何と言っても自分は自分」「ふたりはふたり」とか何とか言って、
「えーい、うるさい、うるさい」という感じで人の思惑を振り落とすほうが、
この方らしいのかなあ・・・。勝手なイメージです。

 

確かに生きていて何かを口にするということは結局は命を犠牲にしているのだから
それを罪とするなら罪には違いないかもしれません。

それでも穢れだの何だのと聞くと、より強く「罪」というものを連想させられて、
権力者だの犯罪人ならともかく、他の人にはそれほど関係ないのではないか、
なんて考えてしまいます。

単なるヨゴレの話ならばまた別ですが。
これも無知で勝手な個人の感想です。

 

それにしてもそれにしてもいくら出仕していたからといって、
当時の基準では明らかに身分違いの人と、
それもご兄弟と次々に本気の恋愛ができるのは、
よほど魅力的な女性だったのでしょうね。

 

ただ情熱があまりにも勝った関係というのは
何だかどうも長く続かないみたいです。

後の時代から見れば、だからこそドラマチックで興味がわくということでしょう。
でも実際では和泉式部氏はたぶん泣きに泣いたのではないかと想像します。

運命が無理矢理熱を冷ましちゃったのかあ・・・。
当時の世間の人の視線や蔑みを考えても残酷な気がします。

 

古い時代のことだけに、平安時代の女流文化人(?)の人生は
そんなにはっきりしていません。

でも若い頃華やいだ人生をおくっていたと伝わる女性は、
後年は不幸だったなどという伝説が残されてしまう印象です。

美人だったかどうかも本当はわからないのですが、
美人薄命とかそんなふうに思いたい人もいるからでしょうか。

運不運でけっこう幸せな一生をおくることができた人もいるでしょうね。

 

単純な疑問、けっこうな年齢で華やいだら
そのまま生涯を終えることが可能なのでしょうか。

 

ああ、まずはとりあえずホコリを払わなければ・・・

 

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