さっと 飛ぶ

ほととぎす
此よ鳴き渡れ
燈火を
月夜になぞへ
その影も見む

大伴家持

 

ほととぎす
こよなきわたれ
ともしびを
つくよになぞへ
そのかげもみむ

おほとものやかもち

 

ほととぎす ここだ ここで鳴いて渡ってくれ
灯火を月夜になぞらえて その姿かたちを見ようとしているのだから

 

 

夏のたくさんたくさん詠まれている ほととぎすの歌のひとつです。
ほととぎすといえば夏だったのですね。古代の日本では。

 

ほととぎす これで5文字 五七五七七で31文字
31から5をひいて26 26文字・・・

 

初夏ぐらいにけっこう詠まれたらしい藤の花 ふじのはな 5文字
ほととぎす と一緒に詠むとして
26から5をひいて21 残りは21文字

 

これが花橘なら はなたちばな 6文字
こっちも一応 ほととぎす と一緒に詠むとして
26から6をひいて20 残りは20文字

 

これも夏によく詠まれたという卯の花 うのはな 4文字
これも ほととぎすと 一緒に詠むとして
26から4をひいて22 残りは22文字・・・

 

文字数を稼いで歌が詠みやすくなったのでしょうか・・・

 

和歌や短歌でも季語みたいなものは使われるのだなあ・・・

別に絶対必要なわけでもないはずですけど・・・

 

そんなことはともかくとして、
上の歌です。

 

詞書には「掾久米朝臣広縄の館に田邊史福麻呂を饗する宴の歌
(じょうくめのあそみひろなわ【ひろただ・ひろのり説もあり】のやかたに
たべのふひとさきまろ をもてなする【きょうする?】うたげのうた)」
とあります。

 

官位と役職の関係はややこしくてよくわかりませんが、
久米朝臣広縄という方は何でもこの頃越中に赴任していたらしく、
掾(じょう)というのはこの場合今の副知事くらいかなと勝手に想像します。

 

大伴家持さんは守(かみ)、越中国守、えっちゅうのこくのかみ
と読んでいいのかなと思うのですが、こちらは今の知事かなあ・・・。

 

それでもって田邊史福麻呂さん訪問中ということらしく、
越中で偉い人である久米朝臣広縄さんの御屋敷に、
上司であるさらに偉い大伴家持さんをご招待、
都からやって来た田邊史福麻呂さんも招待して宴でもてなした、
これで良いのではないかと思います。

 

その宴で大伴家持氏に詠まれたのが上の歌です。

 

夏に鳴くほととぎすよ、この場で鳴いてくれ、月夜に鳴くように姿を現してくれ

よっぽど ほととぎすが恋しかったのか・・・
宴だからなあ、おふざけ気分か・・・

 

でも何か不思議と清々しいというか、潔い響きを感じされる歌です。

 

昔の人にとっては、ほととぎすといえば夏だったらしいので
(実際、秋にはまた遠くへ行くそうです)、
いかにも夏らしい表現だったのでしょうか。

姿形を灯りのなかで現してくれ、というのは、
何か暗号めいた雰囲気もあります。

単なる妄想かもしれませんが、それこそ何になぞらえているのでしょうか。

 

はっきりしているのは歌の達人は、どこにいても、様々な状況のなかでも、
人の心に残る歌が詠めるということですね。

 

ほととぎす
鳴き声聞いて
なんのこと
風流人には
ほど遠いかな
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