かき霧らし
雨の降る夜を
霍公鳥
鳴きて行くなり
あはれその鳥
高橋虫麻呂
かききらし
あめのふるよを
ほととぎす
なきてゆくなり
あはれそのとり
たかはしのむしまろ
空を搔き曇らせて雨が降る夜を
ほととぎすが鳴いて去り行く
心を動かし切なくする鳥だ
虫麻呂さん・・・名前がすごいですね。
いかにも古い時代を思わせる野性的(?)な感じのお名前です。
そしてこの歌は長歌の反歌でもあります。
鶯の 卵のなかに 霍公鳥 ひとり生まれて
己が父に 似ては鳴かず 己が母に 似ては鳴かず
卯の花の 咲きたる野辺ゆ 飛び翔り 来鳴き響もし
橘の 花を居散らし ひねもすに 鳴けど聞きよし
賄はせむ 遠くな行きそ
我が屋戸の 花橘に 住み渡れ鳥
うぐひすの かひごのなかに ほととぎす ひとりうまれて
わがちちに にてはなかず わがははに にてはなかず
うのはなの さきたるのべゆ とびかけり きなきとよもし
たちばなの はなをゐちらし ひねもすに なけどききよし
まひはせむ とほくなゆきそ
わがやどの はなたちばなに すみわたれとり
鶯の巣にある卵のなかに1羽だけで生まれて
自分の父に似た声では鳴かず 母に似た声でも鳴かず
卯の花が咲く野辺を飛び立って翔け 来ては鳴き声を響かせて
橘の花を枝にとまっては散らして 終日鳴くが声が良い
何か捧げてあげよう 遠くには行くな
我が家の花橘に住んでいておくれ鳥よ
ってこれは・・・
昔の人はちゃんと托卵を知っていた!
そうだよねえ、知らないわけがないよね。
現代人より観察眼が鋭いはずだよなあ。
雨とホトトギス、
たぶん昔ならば今頃の時期の典型的な歌のひとつかもしれませんが、
そういうことより別の意味で感動、感心してしまいます。
高橋虫麻呂氏、
何だかよくわからないけれど、とりあえず名前が古式ゆかしい(?)感じで、
こんな長い歌も詠んでいるし、ちゃんと反歌も詠んでいる、
しかもホトトギスの習性までわかっていたのですね。
ホーホケキョと鳴くウグイスに育てられたのに、
そういうふうには鳴かないのは何だか恐ろしい感じもしますが、
生まれつきの性質は変わらないものなんですね。
そんなことを思うと何とも複雑な気持ちになります。
鳥と人は違うけれど、
氏か育ちかどっちだろう。
ひょっとして氏なんて表現したらまずいのかなあ、
今の時代には。
それはともかく人間の場合はおそらくどちらだとも言えて、
状況次第でもあり、
いろいろな要素が絡み合って何とも言えない、
これが正解でしょうか。
生まれつきの性質も大きいでしょうが、育ちもかなり大きい、
こういうことでしょうね。
雨の夜とホトトギス、
ウグイス、橘の花、その他いろいろ・・・
なのにこんな当たり前の結論になってしましました。
風流だとかどこへ置いて来てしまったんでしょうか。
自然もいろいろ思わせる
人もいろいろ・・・
だよね