さらりと夏を告げる

朝霧の 八重山越ゑて
霍公鳥
卯の花辺から 鳴きて越ゑ来ぬ

詠み人知らず

 

あさぎりの やへやまこゑて
ほととぎす
うのはなべから なきてこゑきぬ

よみびとしらず

 

連なり合った幾重もの山々を越えて
卯の花も越えて鳴きながら霍公鳥がやって来ました

 

 

ほととぎす といえば夏を告げる渡り鳥 ということになっていたようです。

和歌の世界では。

 

なので夏の歌にはやたらとこの鳥が読まれているようです。

春はもちろん、夏に姿を見かけられる鳥はたくさんいただろうに、
何か不思議な気がします。

 

ついでに言うと、卯の花というのも
ほととぎすと一緒に詠まれることが多かったみたいです。

 

卯の花 卯の花・・・食べられるほうはともかく、
花のほうは 何かピンときません。

空木(うつぎ)の花だそうです。

 

低木で小さく綺麗な白やピンクの花がたくさん咲くようです。

アジサイ科ウツギ属の植物らしく、
紫陽花といえば丈夫でよく咲くイメージがあるので、
今までけっこう見かけていても花の名前を知らなかっただけなのかもしれません。

 

上の歌では夏を告げる ほととぎす という鳥を、
いかにも待ち望んでいたような感じを受けます。

渡り鳥のほととぎす、様々な苦労を越えてよく来てくれた、
こんな気分でしょうか。

 

ほととぎすはカッコウとよく似た鳥のようで、その行動もカッコウそっくり・・・

そのあたりのことはあんまり知りたくなかった情報です。

というわけで、けっこうしたたかな鳥ですね。

 

そのぐらいでなければこの地球上では種が残せないんだよ、
こんな感じかなあ・・・。

 

鳥という生き物には、猛禽類を除いておおむね優しいような
イメージを持っているのですが、
それは勝手な願望の投影かもしれませんね。

 

もちろん ほととぎす だろうがカッコウだろうが、
仲間や自分の子供にはたぶん優しいのでしょう。

 

何だかよくわかりませんが、こう微妙に、
鳥によっては せちがらい気持ちになる生態・・・。

 

生きるって大変。

 

考えてみればその辺で見かけたり鳴き声を聞いたりする鳥だって、
けっこう苦労しているんですよね。

 

軽くて小さな身体でけなげに生きている・・・ように見える。

 

それにしても翼で大空を飛べる鳥にとって人間の世界は、
わけのわからない魑魅魍魎が棲んでいるかのように見えているかもしれません。

 

人だってそう感じることがある・・・。

 

これは翼を持たない人間の奇妙な感覚なのでしょうかねえ。

 

小鳥さん
つつつつつつ
とととととと
尾っぽを振って食べ物探し
人も恐れず
時々ひゅうっと飛んで
チュンチュンと
さあて
私は何をしているのでしたっけ

 

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