寒いので・・・(四)

 

太宰帥大伴卿 冬の日 雪を見て 京を憶ふ歌

 

あわゆきの
ほどろほどろに
降りしけば
奈良の都し
思ほゆるかも

大伴旅人

 

だざいのそち(そつ) おおともきょう
ふゆのひ ゆきをみて みやこをおもふうた

 

あわゆきの
ほどろほどろに
ふりしけば
ならのみやこし
おもほゆるかも

おおとものたびと

 

あわ雪がはらりはらりとまばらに降って薄く積もって・・・
奈良の都のことが思われくるなあ・・・

 

 

明けましておめでとうございます・・・
などと、とぼけて書いている時期ではありません。

松の内はとっくに過ぎました。

でもまあ今年もぼちぼちと、何とかやっていきたいです・・・。

 

それにしても寒い日が続いています。

今年は暖冬傾向だとか、
確かどなたかおっしゃっていませんでしたか?

残念ながら(?)正しくありませんでした。

 

風がビュービュー吹いています。

風は環境にとって大事な存在らしいので
あんまり文句は言えませんが、
できれば暑い時期の強めの風だとか、
爽やかなそよ風のほうがありがたいです。

なかなかうまくいかないものですね。

 

前回のブログ内容などすっかり忘れていたりしますが、
番号をふったのだからどうにかして形にしなければいけません。

 

それで上の歌ですが、
前回大伴家持のことを少し書いたのでそのつながりです。

大伴旅人は家持の父と伝わります。

老年で太宰府に赴任、
妻を失ったりいろいろあってそのあたりが契機となったのか
現地の官人や山上憶良などと交流、
おそらく互いに刺激され歌を盛んに作りました。

晩年の多作歌人と表現してもいいのかなと思います。

また、沙弥満誓もこの時期のお仲間のひとりです。

 

うーん、大伴氏の代表者というか家長として、
父子ともにやっぱり苦労人と言って良いのでしょうか・・・。

 

あるときを境に歌わぬ人と言われた家持と違って、
父の旅人が晩年に旺盛に歌を詠んだと伝わるのが興味深いです。

 

 

そして旅人の息子大伴家持が
ようやく(?)在京の官人に復帰したその年、
即位しているのが光仁天皇です。

 

光仁天皇は第四十九代天皇、在位770年から781年、
この方は天智天皇の孫にあたり、志貴皇子の第六子、
天武天皇系統が絶え、いわゆる天智系天皇が即位、
といった感じでも表現されたりします。

また、桓武天皇、早良親王の父でもあります。

有名な功績(?)としては、
それまでの奈良仏教偏重を改めるためか
歴史的に有名な道鏡を左遷、律令制度の立て直しに尽力など、
この時代のまあ政教の堕落というか腐敗というかを何とかして
改めようと努めて次代の桓武天皇につなげて
平安時代の先鞭をつけました・・・。

などなど、
調べてみると上のような情報があります。

ということで
ちょっとしたレポートなら、
何とかギリギリ及第点になるのかなあ・・・。

短すぎますけど。

 

・・・なんですが・・・
そういった教科書的(?)なことよりも
ある意味でもっと大きな事件が
光仁天皇の御代にもあったんですよね。

「〇〇の変」だとかいう名前はついていないようなので、
歴史的にはもしかしてよくある継承問題、
という感じの扱いなのかもしれません。

でも歴史学問のド素人には大事件と感じられます。

 

くだくだと書いてきて
案外文字数が多くなってしまっているので
終わりにしますが、
次回また「寒いので・・・」の続きにしてしまうと
内容が少し違う気がするので、
別タイトルで続きみたいなことを書いてみます。

余計なことですが。

 

では光仁天皇の御代の大事件は次回ということにします。

 

大寒がやって来てその名の通り寒い寒い!
立春まであともう少しですが、
暦の上では春になっても当分の間は寒いのでしょうか。

それでも必ず季節は巡り、春はやって来ます。

 

何だかいつものことだけど
季節が変わるときは何となく落ち着かない
人も自然のなかにいる

 

 

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