正月立ち
春の来たらば
かくしこそ
梅を招きつつ
楽しきを経め
大弐紀卿
むつきたち
はるのきたらば
かくしこそ
うめを をきつつ
たのしきをへめ
だいにのきのまへつきみ
正月になり
春がやって来たのなら
こうして梅の花を
愛でながら楽しみましょう
何だか、
私などには
よくわからない間に
新しい年号が決定しました。
これからいよいよ
新たな時代の幕開け
となる
のでしょうか・・・・・・。
個人的には、
明治、大正、
昭和、平成ときて、
次の年号には、
なんとなく
「和 わ」の字が
入りそうな気がする・・・
そしておそらく
三音節になるかな、
なんてことも
思っていたので、
これは当たりました。
ひょっとしたら
「わ」からはじまるかも
と思ったりもして、
これははずれました。
確か、「わ」の音から
はじまるのは
「和銅」だけ
ではなかったでしょうか。
ほんのちらっとだけ、
ら行からはじまったりする
これまでは
少数派(?)の年号
もあるかな、
などと
頭をよぎったのですが、
まあ、
後から当たったの
はずれたのと言ってみても
はじまりませんね。
上の歌ですが、
新年号のご先祖様(?)
とも言える文章に続く、
つまり
歌の序文の次にある、
いちばん最初の歌です。
ちなみに、
万葉集で詠まれている
梅の花というのは、
白梅(しらうめ はくばい)
と呼ばれる
白い梅の花であること
が多いそうです。
序文は万葉集第五巻に
収録された
梅の花を詠んだ歌
の数々へ寄せられたもの、
というのはすでに
元号関連のニュースなどで
伝えられていますね。
天平二年正月十三日、
太宰師(だざいのそち)
だった
大伴旅人氏の邸宅
で開かれた宴会のときに
詠まれた歌だそうです。
このことももう有名な事実に
なっているのでしょうね。
歌の作者の
大弐紀卿
(だいにのきのまへつきみ)
というのは
名前ではなく、
大宰府の大弐
という役職というか
位についている紀の家の人、
というような意味です。
この人は紀男人
(雄人とも きのをひと)
という人だと
考えられています。
大伴氏は古代の
有力な家系でしたが、
時がたつにつれて
新興勢力の家というか
氏族におされて行く、
というありがちな(?)
運命をたどって
いますね・・・。
序文に書かれた
大伴旅人の長子の
大伴家持が
万葉集の編纂に
深く関わった
と考えられていて、
この大伴家持氏、
けっこうな苦労人
だったようです。
有力な家の継承者
としての責任は重く、
しかも没落していく過程
にあるのだから、
かなりの重圧だった
ことでしょうね・・・。
千年以上の時を越えて
大伴氏が
注目を集める
ことになるかもしれず、
何だか感慨めいた気分が
こみ上げます。
紀男人氏もこの機会に
有名に
なるかもしれません・・・。
大伴さんたちー、
紀氏の一族さんたち、
どんな気分ですかあ・・・
・・・・・・
なんて言葉に
出してみたくなりました。
ご一族の人々のうちで、
長々と(?)
あの世に
とどまっている人は、
どんな思いに
なるのかなあ・・・。
そしてこの世を
どう思うんでしょうか。
できれば伺ってみたいな
なんて思います。
なんだか、複雑・・・