音色がまるで・・・

短夜の
更け行くままに
高砂の
峰の松風
吹くかとぞ聞く

藤原兼輔

 

みじかよの
ふけゆくままに
たかさごの
みねのまつかぜ
ふくかとぞきく

ふぢはらのかねすけ

 

夏の短い夜が更け行くにつれ
まるで 高砂の峰の松に吹く風の音を聞いているのかとも思う
心に響く琴の音色だ

 

 

詞書には
夏夜、ふかやふが琴ひくをききて (夏夜、深養父が琴弾くを聞きて)
とあります。

 

この「ふかやふ」とは、
清原深養父(きよはらのふかやぶ)さんのことだそうです。
かの有名な清少納言氏の曾祖父にあたる方です。

この方は歌でもけっこう有名ですが、実は琴もお上手だったようです。

 

そんなわけで、
藤原兼輔氏は親交があった深養父氏のお琴を夏の夜に聴いていたのですね。

「高砂」という言葉も和歌ではわりと聞きますが、播磨の国の歌枕だそうです。

でもこの場合は、「高砂の峰の松風」でひとつになっていて、
高砂の峰の松に吹くという風みたいに美しい音色だなあ・・・と感嘆している、
ということだと思います・・・。

でも、「峰」にかかる枕詞という説もあるそうです。

 

結局どっち・・・?

というより、何の違いがある・・・?

 

どがつく素人が何を悩んでも仕方がないねえ・・・

 

ということで、
短夜 更け行くままに などの言葉から、
夏が深まって季節がどんどん流れて行くことを惜しんでいるのと、
琴の音色を聞いている短い夏のこの夜がすぐに朝を迎えてしまうこと、
そのどちらも惜しむ心をあらわしている、
ということみたいです。

 

個人的には、
おおお ホトトギス以外の夏の歌だ!
これがいちばん最初に出て来る感想だったりします・・・。

 

だって、ホトトギスがいっぱいなんだよお・・・
夏の和歌は・・・
だから出てこない歌には何だか感動・・・新鮮だ・・・

 

あと、お琴ですが、これがなかなかややこしい、
現在いわゆるお琴と言われてしまうものは、ほとんど筝(そう)という楽器のこと
らしいのですね。

 

琴と筝の違いはひと目でわかるそうで、
柱(じ)と呼ばれるブリッジみたいなものがないのが琴、
あるのが筝・・・

 

大正琴、一絃琴、二絃琴、七絃琴・・・などは琴
ブリッジみたいなので絃が支えてあればそれは筝

 

昔は絃楽器はすべて琴と呼ばれていたみたいです。
だから、絃があったらそれはお琴だったんですね。
ギターとかも昔ならお琴かあ・・・

 

日本古来の和琴(わごん)という楽器があるそうです。

また、七絃琴は大陸から渡来して平安時代の中頃までは貴族が弾いていたようですが、今では弾かれることがなくなったようですね。

 

あれ?だとすると・・・
上の歌の「琴」は何でしょう?

美しい音色を奏でる
和琴? 七絃琴? はたまた琵琶?

それとも別の楽器でしょうか。

これはわからない・・・

 

これも、まあ、あれですね。

結局のところどがつく素人は
何となく想像して終わるのが無難というような気がします・・・。

 

あの、糸が張ってあるもの、あれは楽器
いいえ、糸が張ってあっても
必ず楽器とは限りません

 

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