何だかこの感じは・・・

あさりせし
水のみさびに
とぢられて
菱の浮き葉に
蛙鳴くなり

源俊頼

 

あさりせし
みづのみさびに
とぢられて
ひしのうきはに
かはづなくなり

みなもとのとしより(または しゅんらい)

 

えさを漁っていた水のさびに閉じ込められて
浮いた菱の葉に蛙が鳴いているよ

 

 

あさり・・・あさり?貝の?
などと思ったら「あさる」

 

みさび?何でしょう?
と思ったら何だかよくわかりませんが
沼や池などに浮いた錆のようなもの・・・
・・・水垢のことじゃ・・・
たぶんそうではない・・・ような
たぶんですが。

 

流れのない、または流れがかなり緩やかな水、
そこに何やら「よどみ」があって
菱の葉っぱが浮いていて、
その上で蛙が鳴いています。

 

これで良いはずです・・・。

 

菱というのはヒシ科で水生の植物のことだそうです。

一年草、葉っぱは三角形っぽくてギザギザがあります。

二枚の葉っぱを合わせたら、
ギザギザのある菱形になります。

 

ああ、だから「ひしがた」かあ・・・。

形が先か、葉っぱから形の名前が生まれたか・・・。

でも菱形にはギザギザはない・・・。

うーん。

 

それはともかく歌です。和歌です。

この歌は、風流なのかなあ・・・

そうなんだろうなあ。

 

沼だの池だのがすごく綺麗なイメージかというと、
庭や公園にあるような場合は別として、
澄んだ水の印象はあんまりないような感じがします。

 

何やら少しばかり怪しい水生生物が生息している、
そんなイメージですね。

 

そもそも、沼、池、何が違う・・・

 

沼は池よりは大きく自然にある、
水生生物は多い、泥も多い。

 

池は沼よりは小さく自然にもあるが
人工的に作られている場合も多い、水生生物は少なめ。

 

水深は、どちらも浅いほう、
少なくとも湖よりは。

 

こんな感じだそうです。曖昧ではありますね。

 

じゃあ上の歌の場合は沼でしょうか。
でも古い時代のことだし、人口の池だって時間がたてば、
もしかして濁って水生生物が増えるかもしれませんよね。

 

人口の池が自然にある沼のような感じに
なっていくなんていうことはないのでしょうか。

 

まあ沼でも池でもどちらでもいいか・・・。
とにかく水は水ですよね。

 

ただ、澱んだ感じの水と水生の一年草と蛙・・・
この組み合わせは微妙な組み合わせ・・・

 

蛙だって指の先くらいの大きさの極小のは可愛い感じですが、
大きいのは・・・

 

そんな風流なのかそうではないのか
よくわからない生き物を詠んでも、
いい感じなのがやっぱり古の歌人の腕なのですね。

 

歌は美しい・・・。

 

もちろん水面に浮いている澱みがどうだとか
葉っぱがどうのこうのだとか、
まして蛙が好きだとかどうとかなんていうのは、
勝手な感覚もいいところです。

 

そんなわけでこの歌は当然のことながら
歴史がある趣が深い和歌です。

 

形が先か
名前が先か
鶏が先か
卵が先か
どっちでもいいよ
昔からそこにあった

 

PAGE TOP