折節も
移れば変へつ
世の中の
人の心の
花染めの袖
藤原俊成女
をりふしも
うつればかへつ
よのなかの
ひとのこころの
はなぞめのそで
ふぢはらのとしなりのむすめ
(ふぢはらのしゅんぜいのむすめ)
春の花もすっかり散って季節は夏となったので
世の人たちも色が変わりやすい花染めの衣を脱ぎ衣更えをしました
花染めの袖ではないけれど人の心もまた変わりやすいものです
6月は衣替えのシーズンです。
制服などはともかく、今どきはこの日になったら絶対にしっかり夏服!、
というほど律儀でなくても良いのでしょうが、
とりあえず厚着では暑いのでまあ結局衣替えですね。
みんなが着物を着ていた頃には、より季節感が大事にされていたようです。
少々暑くてもまだ夏ではないとか、逆に寒くてももう少し我慢など、
少なくとも人の前では礼儀(?)を守るということでしょうか。
庶民でもそうだったのだから、これが昔の宮中だとか貴族の世界では
もっとそうだったのだろうなと思われます。
豪華なお召し物がいっせいに衣更え
というのはなかなかに見ごたえがありそうですね。
現代人には想像するほかありません。
昔だって庶民が立派なお屋敷のなかを、
ましてや宮中を目にすることはなかったでしょうが。
上の歌の詞書には
夏の始の歌とてよみ侍りける
とあるようです。
歌のテーマが「夏のはじめ」ということだったんでしょうか。
移り変わる、人の心、とくれば
和歌だと何となく恋の歌なのかと思ってしまいますが、
詞書がちゃんとあるので「夏の歌」に分類(?)されたのかとも
思います。
藤原俊成女(ふじわらのとしなりのむすめ)とある通り、
この歌を詠んだのは俊成氏の養女にあたる人です。
実際には俊成氏の娘の娘にあたり、
つまりはお孫さんということになりますね。
人生ではもちろんいろいろあったのでしょうが、
歌の世界では高く評価されたそうです。
生涯にわたって旺盛に歌をつくり続け、
勅撰和歌集にも多くの歌が選ばれています。
女流文化人ということですね。
現代は何事もすぐに忘れられて飽きられるみたいに表現されることがあります。
でもその当時もスピードはともかく、同じような状況はあったようですね。
何かが話題になってもすぐにまた別の話に変わったり、
いつの間にか忘れられたり、まさしく人の心は移り変わる、
ということのようです。
恋愛の歌がたくさん詠まれた時代、
心変わりというのはおおいにあったことでしょう。
ただそういう方面でなくても、
人はけっこう移り気で気まぐれということでしょうね。
何かこう、水っぽい気候風土とも関係あるようなないような・・・。
場合によってはあまり思い込んでいるのも考えものかもしれません。
ですが忘れっぽいのも・・・やっぱり問題は多そうです。
それに現代は昔よりはるかに気を散らせるいろいろがあるので、
さらに様々に面倒なことになってしまいやすくなっています。
うーん、情報だの何だの、適度にシャットアウトがときには有効・・・
これが正しいということでしょうか。
何事も適度が理想
でもときどき大雑把に考えてみる
なんだか答えがあるような・・・