感想文 2 序文を読んで (2)

 

「青空文庫」さんから引用

レ・ミゼラブル
LES MISERABLES

ビクトル・ユーゴー Victor Hugo
豊島与志雄 訳

 

法律と風習とによって、
ある永劫(えいごう)の
社会的処罰が存在し、
かくして人為的に
地獄を
文明のさなかにこしらえ、
聖なる運命を
世間的因果によって
紛糾せしむる間は、
すなわち、
下層階級による男の失墜、
飢餓による女の堕落、
暗黒による
子供の萎縮(いしゅく)、
それら時代の
三つの問題が
解決せられない間は、
すなわち、
ある方面において、
社会的窒息が
可能である間は、
すなわち、
言葉を換えて言えば、
そして
なおいっそう
広い見地よりすれば、
地上に
無知と悲惨とがある間は、
本書のごとき性質の書物も、
おそらく
無益ではないであろう。

一八六二年一月一日
オートヴィル・
ハウスにおいて
ヴィクトル・ユーゴー

 

格調の高い序文、
再びです。
こちらは
作者の
序文の
翻訳になります。

有名な
「レ・ミゼラブル」の
おおまかな
ストーリーは
知っていますが、
作者ビクトル・ユーゴー氏の
思いを感じ取れる序文に
新鮮な印象を受けます。

強い情熱で
この大きな物語を
書いたのですね。

 

この序文は、
作者が生きていた国や地域と
その時代、
そして
物語で描かれている
国や地域と時代、
このふたつに対する
率直な評価なのだろう
と思います。

 

近年、
ビクトル・ユーゴー氏
の作品が
注目されている印象です。

これは、
現在の状況と
作者の時代との共通点を、
多くの人たちが
見出しているから
かもしれません。

 

それにしても、
小説などの「序文」、
今だと「はじめに」とか、
そんな感じに表現される
ことのほうが
多いんじゃないかなあ・・・

「序文」というと
少し重いからでしょうか。

 

そういえば、
序文とは
直接的に関係ない
かもしれないけれど、
「あとがき」
のない小説などを
読んだことがないような
気がします。

最近小説を
あんまり読んでいないので
よくわかりませんが・・・

序文でもはじめにでも、
あとがきでも、
作者の思いだとか
作品の世界観みたいなものを
感じられるのが
普通のこと
なんでしょうか・・・

 

私はそういうものを
これまで力を入れて
読んでいなかったようです。

正直、
ビクトル・ユーゴー氏の
序文ほど印象的では
なかったからです。

あまり真面目に
読んでこなかった
ということですね・・・。

下手をすると
プロローグなどでさえ
いい加減に
読んでしまったりするので、
印象に残らなくても
当たり前のこと
だと思います。

 

作者の序文だけでも、
かなり濃い内容
だと感じられますが、
これから
さらに深く濃い物語が
はじまります。

 

はじまりと終わり
どちらが大事・・・?
それはどちらも
ですよね・・・

 

 

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