複雑・・・

 

さきのおほきおほいまうちぎみを 白川のあたりに送りける夜よめる

 

血の涙
落ちてぞたぎつ
白川は
君が世までの
名にこそありけれ

素性法師

 

さきのおほきおほいまうちぎみを しらかはのあたりに おくりけるよ よめる

 

ちのなみだ
おちてぞたぎつ
しらかはは
きみがよまでの
なにこそありけれ

そせいほふし

 

さきの太政大臣を白川のあたりに送って行ったという夜に詠まれる

 

悲しみのあまりに血の涙がわき上がり
激しく流れるこの川の呼び名が白川だったのは
あなたさまがこの世にいらしたときまでのことでしたなあ

 

 

朝夕ぐっと寒くなってきました。

今年は暖冬傾向だと言われているらしいので少し安心していましたが、
やっぱり本格的な冬は刻一刻と近づいてきます。

空気が冷たい・・・粘膜にこたえるような気がします。

気温差などで刺激されるのか、くしゃみが増え、
いつものことながらティッシュペーパーをたくさん必要として、
季節の変わり目を実感する今日この頃です。

太陽がぎらぎらし続ければうんざりげんなり、
太陽の光の力が弱まったような感じがする季節にも、
さみしさを覚えてしまう、勝手なものですね。

要するに生きていて歳を重ねている、
ということですよねえ。

 

それにしても今年は雪の降り方など、どうなるのでしょうか・・・。
雪は暖かいところで眺めているだけなのが最高、
身近で降られると場合によっては大変なことになります。

雪は本来ありがたい存在のはずなのですが・・・だけどなあ。

 

 

何だかんだ、ぐだぐだ言っていますが、
さて(?)上の歌です。

 

素性法師、僧正遍照の息子さんの和歌です。

 

この歌はいきなり血の涙なんてずいぶんと強い表現をしています。

詞書によればさきの太政大臣であった藤原良房の葬送の夜に詠まれた
ということなので、哀傷の歌なんですね。

 

白川は京の都を流れ加茂川に合流する川なのだそうです。

あとは藤原良房の通称のひとつが白河殿だったらしいので、
このあたりにも関係するのかなあなんて思います。

 

で、ここであれ?と思ったのですが、
えーと、藤原良房は承和の変の首謀者なんじゃなかったっけ?
それでそのときの仁明天皇に忠誠を誓っていたから崩御の際に
素性法師の実父である僧正遍照が出家したはず・・・

 

なのにこんなに悲しんでいる様子の歌を、
権力者に媚びているという事情も多少あったかもしれませんが、
詠んでいる・・・

 

違和感を感じたのですが、
素性法師は遍照さんの息子だから桓武天皇の曾孫にもあたるわけなのですが・・・
藤原良房とも親戚関係みたいなのですね。

 

藤原内麻呂さんという人がいて、その人は良房さんの祖父らしいのですが、
その人の妻が後に後宮に入って桓武天皇の寵愛を受けて
結果誕生したのが素性さんの祖父・・・

ということは、
良房の祖母と素性の曾祖母は同一人物ということですよね。

その関係は意外と近い?と言えるのでしょうか。

 

この時代の身分が高い人って、
ほんとに人類みんなきょうだい・・・みたいな・・・

 

何だかなあ、なんて思ってしまいますが・・・

 

思ってみたってどうしようもない・・・

 

それで、何だかよくはわかりませんが、
とにかくときの権力者のひとりで、
自身からみて一応は(?)親戚にあたる人への
哀悼の気持ちを
強く強くあらわした歌を詠んだ、と、
ざっと(?)こういうことなのですね。

 

実の父親にとっても大きな事件であったろう承和の変の中心人物で、
父と自分自身の親戚でもある人に対しての哀傷歌・・・
詠んだ素性法師の気持ちは・・・想像しにくい・・・。

 

ドがいくつもついてしまう庶民と、
身分が高い古代人では共通点がなさすぎます。

 

権力に執着し自分の生まれた「家」というものにも強い思いがあり、
だからこそ「変」なんて起こしたのでしょうが、
そんな渦中の人が表面は「良い人」として振る舞い人生をおくった、
なんてことはあったんでしょうか。

 

だから葬送の際にも遠い親戚や他人でも悲しむ人がけっこういたとか、
政治家として辣腕を振るったのでそのあたりは高く評価されていたとか、
そういった背景がこういう和歌を生んだ・・・
それともやっぱり結局は権力者への媚びを含んでいるとか。

 

権力中枢に存在し続けるために
怖いことをたくさん行っていたりして恐れられ、
その恐怖心から詠まれた歌という可能性だって捨てきれません。

 

考えたってなかなか答えは出てこない・・・。

単細胞なんでしょうね。

何となく(?)次に続きます。

 

 

思いが
微妙なふうに揺れる・・・
何故でしょう

 

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