ああ、いよいよ秋か・・・?

夏はつる
扇と秋の
白露と
いづれかまづは
置かむとすらむ

壬生忠岑

 

なつはつる
あふぎと
あきのしらつゆと
いづれかまづは
おかむとすらむ

みぶのただみね

 

夏が終わり
扇が捨て置かれるのと
秋の白い露が草の葉の上に置かれるのと
どちらが先になるのだろうか

 

 

詞書には

延喜御時 月次屛風に

とあり、

壬生忠岑さんの家集での詞書では

延喜の御時の月なみの御屛風に 夏果つるに

とあるそうです。

 

和歌のお題を与えられて屛風絵を詠んだようです。
お題は「夏果つる」
夏の終わりがテーマだったのですね。

 

明日は八月七日(火)立秋、
そんな時期にぴったり(?)のお歌です。

 

詠まれたのは醍醐天皇の御代だったらしいのですが、
忠岑さんはそんなに身分は高くなかったらしいので、
御前に出られたのかな・・・

 

御屛風ということは
屛風が偉そう(?)なので、
それなりの場所で詠まれたのでしょうが。

 

歌の名手なら少々の身分の低さは気にしなかったのかなあ・・・

 

第六十代の醍醐天皇というと、
ごく若くして即位され、
藤原時平、菅原道真を登用、
その後道真さんのほうは左遷の憂き目にあって、
それが藤原氏台頭の理由のひとつになったようだ・・・
なんていうお話は歴史として有名ですね。

 

道真さんには大変お気の毒なのですが、
藤原時平を重く用いての親政は延喜の治と呼ばれて、
第六十二代村上天皇と一緒に
延喜の治、天暦の治とか言われて称えられたそうです。

 

何だか微妙な気持ちになります。

菅原道真公って不条理な役回りですね。

 

それはとりあえず置いておいて、
月なみな屛風、
月なみな屛風絵って、
どんな感じだったんでしょうか。

 

月次、月並み・・・とは、
月ごと、毎月、
あるいは平凡、
または月の数や月齢などを意味している言葉です。

 

で、この場合はどれ?
月ごとならその季節らしい屛風と屛風絵だし、
平凡ならばありがちな屛風と屛風絵・・・

 

どっちなんでしょう。

 

もしかして、
季節らしいけれどありがちなものとか?

 

それこそよくある安心デザイン、
月並みといえば月並みだけど、
多くの人に愛される、とか・・・

 

貴族の館とか、ましてや御所内に
そんなに奇抜なものは置かないような気がするのですが、
どうなんでしょうね。

 

結局はやっぱり好みの問題か・・・

 

でもはっきりしているのは、
屏風が平凡でも何でも、
三十六歌仙のおひとりである
壬生忠岑さんだけに、
和歌のほうは平凡ではない(?)
ということなのでしょうね。

 

まあ、お詠みになった
すべての和歌が名歌秀歌とは限らない・・・。

 

上の歌、お題の夏果つるが何だか良いですね。

いかにも秋がはじまるという感じがします。

 

扇を置くのと白露が置かれるのとどっちが早いか、
なんていうのも面白い発想で、
古い人の早いもの勝ちではありますが、
当然派生歌もいくつかあるようです。

 

暑いうちにはあれほどお世話になった扇も
涼しくなったらどこかに置き忘れられる、
昔のよくある光景といったところですよね。

それが白露と一緒に詠まれてさらに涼しげな感じがします。

 

夏にはいかにも暑苦しい厚めの布団、
冬にはいかにも寒そうなかき氷(好きな方もいるようですが)、
みたいな対比の感じ?かな。

それは違うか・・・。

 

だけどほんとに、
立秋なのだから涼しくなったら良いですよね。

 

団扇
扇子
下手をすると蹴とばされる
扇風機
片づけるのが面倒
涼しくなったからって・・・
人って・・・
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