世間を
何に譬へむ
朝開き
漕ぎ去にし船の
跡なきがごと
沙弥満誓
よのなかを
なににたとへむ
あさびらき
こぎいにしふねの
あとなきがごと
しゃみまんせい
または しゃみまんぜい
または さみまんせい
世の中を何に譬えようか
朝も早くに漕ぎ出して行った船が
何の跡も残していないようなもの
台風がまた近づいている影響などもあってか湿度が高めのようです。
ジメジメしていて身体もひどくだるい、嫌になりますね。
頭のなかもいつもに増してぼんやりします。
とほほですね・・・。
心地良い自然の風が恋しい時期です。
爽やかな空気と、晴天でも柔らかい日差しだったら最高・・・。
いよいよ立秋がすぐそこまで近づき、
あくまでも暦のうえのことですが、
今は晩夏ということになるんですよね。
ただ今年の夏は特に暦と実際の季節感との違いが大きくなりました。
でも大暑から後には、
そこはかとなく秋の気配を感じられないこともない・・・
といったふうになっているような気がします。
気のせいかなあ・・・
風の感じとか、お日様の光の感じとか、
微妙に違っているとは思うのですが。
とにもかくにも、「立秋」というからには
せめて少しは気温が下がってほしいですよね。
残暑は厳しいけれども、
風だの雲だのに秋の気配が漂いはじめる頃というのが立秋だそうです。
八月のこの季節「真夏」だと長い間思っていましたが。
たぶん機会があったとき空を見上げたり、
風のそよぎなんかを感じてみたりすれば、
秋が立つとやらの意味がわかるのでは・・・
ないかなと思います。
上の歌を詠まれた沙弥満誓さんですが、
沙弥というのは簡単に言うとまだ修業途上の
いわば未熟な仏教修行者のことのようです。
だから満誓が法名ですよね。
ただし日本では(時代にもよるのでしょうが)、
妻子がいたり世俗の生業を行っている
入道とか法師とも呼ばれる人のことも、
沙弥と呼んでいたそうです。
沙弥満誓さんの場合、
古い人だから本来の沙弥の意味が強かったのかなあ・・・?
沙弥満誓さんこと俗名は笠朝臣麻呂(かさのあそんまろ)さん、
つまりもともとのお名前は笠麻呂(かさのまろ)ですよね。
昔の人なので生没年不詳です。
なかなか有能だったらしく、
美濃守だった際の功績が認められ、
その後も順調に任務をこなし出世、
元明上皇のご病気のとき出家したと伝わります。
さらにその後、
造筑紫観世音寺別当(つくしのかんぜおんじをつくるべっとう)
として西下して太宰師(だざいのそち だざいのそつ)だった
大伴家持氏とも親しかったそうです。
上の歌もおそらくその頃詠まれたのだと思われます。
ただ、ただ・・・、よくないことが・・・、
沙弥満誓さんの没された後で発覚したようですが、
お寺の婢にお子さんを生ませていたそうです・・・。
これはいろいろな意味でまずい・・・
ほんとまったくその名の(?)通り修業が足りないですよねえ。
奴婢なんてただでさえ気の毒なのに、
こんなのあんまりだよお・・・。
ちなみに奴婢とは律令社会の最も下の階層であり、
奴は男性、婢は女性、公奴婢と私奴婢があり、
寺奴婢は私奴婢だそうです。
良い歌だなんて思って何だか損した気分だ。
そんなわけで沙弥満誓さんの歌を鑑賞するときには、
落ち着いたクールな目線を大事にしていきたいなと思います。
なんだろう
うーん・・・
夢みたいなものなのかな